魔法にかけられて

つくりなおし

Myojo一万字インタビューへ、私なりの答案用紙 - 紀元前の千賀健永

※この記事は2016年5月23日に書いたものです。

“ここまでの人生は紀元前って感じ。”

‐TVガイド4/1号 Kissまであと何マイル?#232 より





2016年、25歳になり、Kis-My-Ft2としてデビュー5周年を迎える千賀健永。そんな彼は、今までの人生を”紀元前”と称する。私は最愛の自担千賀健永のこの言葉に衝撃、というよりショックを受けた。

Kis-My-Ft2がデビューしてから、彼は着実に前へと進んできた。ダンス、バラエティー、そして舞祭組。振り返ると、彼の努力する姿ばかりが思い浮かぶ。この5年は千賀健永として意味のある5年間だったように思う。そんな彼からこの言葉が発せられたのだから、ショックは大きかった。

なぜ彼はこの言葉を発したのか?なぜ彼はここから更に進化しようとしているのか?それを紐解くため、ここ最近のインタビュー記事を参考に千賀健永の“紀元前”の歩みを振り返ってみたいと思う。


◼︎ジュニア時代〜デビュー

小さい頃からダンスをやっていた千賀くんは2003年4月13日、親同士が知り合いだった嵐の櫻井翔くんの影響でジャニーズ事務所に入ります。地元名古屋から上京し、大好きなダンスで頭角を表し、Kis-My-Ft2結成後、2007年には舞闘冠というグループにも選抜されました。”Exit”*1というソロ曲まで与えられており、かなり期待されていたJr.だったことが伺えます。私はそのころのことは知らないのですが、当時を知る人に話を聞くと、かなり人気のあるJr.だったと口を揃えて言われます。そんな所謂エリートJr.だった千賀くんは、Kis-My-Ft2としてCDデビューを果たします。しかし彼を待っていたのは”後列“という現実。Jr.時代はグループの曲でもきちんと見せ場となる歌割りがあり、藤北の二人に続いて目立つポジションを務めていた。しかし、玉森くんの人気が上がるにつれ、徐々に千賀くんは後列に下がっていきました。そしてデビュー頃にハッキリと示された3-4の構図。千賀くんの心では葛藤があったでしょうし、「いつかフロントに」という闘志も燃やしていました。*2”後列の4人”として地道に、一生懸命活動しながらも、なかなか日の目を浴びない日々を過ごします。

■”ターニングポイントは舞祭組“-TVガイド4/1号 Kissまであと何マイル?#232 より

舞祭組は千賀健永としても、後列の4人としても、Kis-My-Ft2としても、この5年において最も大きなターニングポイントと言えるでしょう。*3ここまで二枚目路線で突っ走ってきた千賀くんが、突然三枚目になることを余儀なくされるのです。

“むしろそういうことをしちゃいけないのがアイドルだと思ってたから、最初に聞いた時はそこまで喜べなかった。(中略)絶対”カッコいい方向“が正解だと思ってた” -TVガイド4/1号 Kissまであと何マイル?#232 より

“健永がいちばん迷ってた気がするかな。迷ってたっていうのは語弊があるかもしれないけど、マジメな性格なんで、グループのためになるのかどうか戸惑いみたいなものがあったと思う”-Myojo 2016年6月号 藤ヶ谷太輔一万字インタビュー より

舞祭組としてデビューしてから、千賀くんは様々なプライドという壁を壊してきたように思います。歌やダンスのパフォーマンスは勿論、バラエティー番組への露出も増え、求められることも、普通のアイドルというよりは芸人寄りのことになってきます。

■苦難の2014年夏

まず、この章で書くことは全て私の推測です。
2014年の夏ごろは、千賀健永にとってとても過酷な日々だったのではないでしょうか。このころの千賀くんからは、自然で無邪気な笑顔は消え、常に顔は強張り、頬はこけていました。
この時期に何があったかというと、舞祭組2ndシングル”てぃーてぃーてぃーてれっててれてぃてぃてぃ~だれのケツ~“の発売がありました。この曲の発売が発表されたのは『キスマイBUSAIKU!?*4でのことでした。私はこの時の千賀くんの表情が忘れられません。曲名と、歌詞がプロデューサーの中居さんから発表されたときの千賀くんの強張った表情。ジャニーズが歌う曲としては侮辱的な歌詞。千賀くんの目指していたジャニーズ像とは真逆なものでした。他のメンバーが中居さんにツッコミを入れる中、ひたすら唇を噛んでいました。その収録で千賀くんの納得した姿は見られませんでした。勿論何事にも一生懸命で努力を怠らない千賀くんなので、この曲に対しても全力で取り組みました。

“俺、お尻のことをケツっていうことに対して若干抵抗あるからそこからスタートです。笑(中略)中居さんから頂いたチャンスをみんなにいい形でプレゼント出来るように汗水垂らして舞祭組なりの良さをこのてぃーてぃーてぃーてれって てれてぃてぃてぃ~だれのケツ~でまた新しく伝えて行きたいと思います。”-Johnny’s web キスログ 2014年6月23日更新分 より

良い子過ぎるぞ千賀くん。

”ケツ”という下品な言葉からはかけ離れた育ちの良い千賀くんは覚悟を決め、この言葉通り汗水たらして全力のパフォーマンスを見せてくれました。

しかし、これ以降彼の自然な笑顔を見ることは少なくなりました。舞祭組として出演した『MUSIC JAPAN』では歌やダンスを間違える千賀くんらしくない場面もありました。歌やバラエティーでは無理やり作ったような笑顔を見せ、『キスマイBUSAIKU!?』でもパッとした成績を収めることもありませんでした。この頃徐々に「口元が出ている」といじられることが多くなり、笑うときは口を抑えることが多かったです。私自身この頃を「千賀担病み期」と呼んでいました。なのであまり画像を保存したり雑誌を購入するということがなく、この頃のデータはあまり持っていません(笑)“てぃーてぃ(略)”のCD自体MVすら観たくなかったので購入したのは通常版(唯一ジャケットが赤ちゃんじゃない)と千賀盤のみでした。
Kis-My-Journey Tourや舞台DREAM BOYS 2014も重なり、多忙の日々でもありました。まさにキスマイがノリに乗っていた時期でもありましたから。
口元をいじられることが相当嫌だったらしく、フェイスマッサージをしすぎて頬がこけていたのも心配でした。(今振り返ると笑い話に聞こえるけど当時はこっちも必死だった)

これはかなり私の予想の中での話ですが、この頃他のKis-My-Ft2メンバーも千賀くんが心配だったのかなと思います。”Perfect World”のMVメイキングでは、メンバーが千賀くんと積極的にじゃれ合いにいくシーンが目立ったように思います。彼もあの時は久しぶりにリラックスした表情を見せてくれホッとした記憶があります。また、グループでの雑誌の取材の際にも千賀くんの話を積極的に出していてくれていたように思います。千賀くんはこの頃本当に辛そうで、Kis-My-Ft2を辞めてしまうのではないか?と不安になったくらいです。(あくまで予想の話ですが)

■千賀健永にとってのDREAM BOYS

舞台DREAM BOYSではとても伝統のあるチャンプ役を二年間演じました。2014のチャンプから2015のチャンプは、演技の質がグッと上がり、千賀くんがこの役をどれだけ深く掘り下げ、考え自己演出したかが一目瞭然でわかります。まるで違う役をやっていたかのように。
しかし、この舞台が千賀くんに与えたものは、演技を学ぶ場所だけでなく、千賀くんが自分らしくパフォーマンスをする場所でした。ソロ曲の存在、これはキスマイの後列である千賀くんにとって数少ないチャンスでした。自ら作詞、振付、Jr.の構成まで作り上げた“BOMB”は、千賀健永にしかできない曲に仕上がりました。2015年には「千ラー」と称し、尊敬するマイケル・ジャクソンの“Thriller”を披露しました。この舞台は千賀くんが自分のやりたいパフォーマンスをすることを叶えてくれた、貴重な場所でした。

ー貴方にとって舞台とは?
ー貴方にとってDREAM BOYSとは?
という問いに対して
”本来の自分を出せる場所。”
ーDREAM BOYS 2015パンフレットより

この言葉を聞いたとき、この人のことは信頼して応援できる、と思いましたし、千賀健永のパフォーマンスはまさに千賀健永そのものなんだと確信することができました。

■千賀健永=ダンス

やはり千賀健永という人物の代名詞となる言葉は「ダンス」に他ならないでしょう。ここ数年では振付をする機会もグッと増え、体幹の整った重力感のある丁寧なダンスは他のジャニーズタレントからも一目置かれています。また、バラード調の曲につける振付は女性的でしなやかな表現力を持っています。
今まで振付をした曲は、
“君にあえるから”、“Striker”、“サクラヒラリ”、“FOLLOW”、“Double Up”、“Halley”、“ETERNAL MIND”(Kis-My-WORLD バージョン)、“if”、“Shake Body!!”
等…他、振付に関わった曲も多数。*5

“デビューした時に、やっていきたいなと思ったのは特にダンス。(中略)ダンスの仕事は年々、少しずつできてるかな。(中略)でも、もっとやりたい。シングル曲とかも。「千賀でいきたい」って言ってもらえるように、もっと勉強しなきゃと思ってる。“-TVガイド4/1号 Kissまであと何マイル?#232 より

“ダンスのカベっていうのは、過去にいくつもあって、(中略)ひとつのカベを越えるとまた次のカベが来て…のくりかえし。今は魅せ方の部分で、また次のカベを乗り越えたいって思っている最中。”-Wink Up 2016年6月号 より

シングル曲の振り付けは千賀くんにとっても、千賀担にとっても一つの目標。*6できれば今年中には達成させて欲しい。そのためにも、カベを乗り越えることが課題みたいです。

■舞祭組が与えてくれたもの

千賀くんにとって苦難の連続だった舞祭組としての活動。
2014年の春には、プロデューサーの中居さんが司会を務める「UTAGE!」に舞祭組としてレギュラー出演しました。
gachizeis.hatenablog.jp
詳しくはこちらの過去記事をご覧下さい。
この番組で千賀くんは、得意であると思っていた歌唱力を舞祭組ごと否定され、ピアノに挑戦し、罵倒されたり、挫折を味わったり、涙を流すこともありました。(頻繁に)
しかし、番組が終わると、舞祭組には「歌が下手」しかし「下手なりに一生懸命」というイメージがつきました。千賀くんにはピアノという新たな持ち味が増え、舞祭組としてはバンドに挑戦することもできました。
舞祭組になってから、バラエティー番組への露出が大幅に増え、悩んでいる姿もたくさん見てきました*7が、そこで得てきたものはすごく大きかった。舞祭組としてのパフォーマンスの色や、バラエティーでの立ち位置もわかってきて(勿論まだまだ模索中ではある)、もう「後ろの四人」とは言えないほどの活躍ぶりを見せています。千賀くんの価値観もすっかり変わりました。

“活動をやっているうちに、その意味がだんだんわかってくるんだよね。これが伏線になって、結局カッコいいことする時の振り幅にもなるし、自分たちに足りなかったバラエティー力もつけられるし、実はすごく大事なことだった。コンサートで初めて披露したとき、めっちゃ盛り上がって。あの時に、本当によかったなぁって思った。自分が行きたくなかった、真逆の方向にこそ答えがあるんだなって。” -TVガイド4/1号 Kissまであと何マイル?#232 より

舞祭組がデビューしたときに行われたコンサート“SNOW DOMEの約束 in Tokyo Dome”では、初めてファンの前で披露した“棚からぼたもち”がこの日一番の声援を浴びました。
実際、私はこの曲を歌う千賀健永に惚れ、千賀担となりました。舞祭組の活動がグループ全体のバネともなった気がします。
そして何より舞祭組が千賀くんに与えてくれたものは、尊敬できる先輩、中居さんではないでしょうか。

ナカイの窓 ハワイSP

2016年3月に放送された『ナカイの窓』ハワイSPでは、中居さん、陣内智則さん、アンジャッシュ児嶋さん、ハリセンボン春菜さん、南海キャンディーズ山里さんに混じりロケに参加しました。腕のある芸人さんに囲まれた中で千賀くんは自分の立ち位置に迷い、葛藤し、最後にはお酒に酔って号泣するシーンもありました。千賀くんがそこまで困ってしまった原因は「中居正広」という存在に他ならないでしょう。

“『ナカイの窓』のハワイロケは、ホントに大きな経験になったなぁ。(中略)ほんのちょっとでも笑いが取れるんじゃ…なんて思ってたプライドがこっぱみじんに砕け散って、そりゃ最後のごはん会でも涙も出てきちゃうって(笑)(中略)あれだけの腕を持った芸人さんでも、自分の立ち位置に立つのに必死…それがわかっただけでも、すごく大きな収穫だったよ”-Wink Up 2016年6月号 より

“中居さんが俺に「千賀、ダメだな~」とか言うのは愛だって分かる。でも、その愛にちゃんと応えられてないな、って。今、メンタルがボロッボロ。自信やプライドは全部壊れた。” -TVガイド4/1号 Kissまであと何マイル?#232 より

そんなに中居さんにプレッシャーを与えられてるようには見えなかったけど(笑)、千賀くんなりにかなり奮闘したこのロケは、彼の中でもかなり大きな出来事だったようで、様々な取材でこのロケの話をしています。

最後のごはん会で号泣しながら中居さんについて話をした千賀くん。千賀くんにとって中居さんは、尊敬する先輩、自分にチャンスをくれたプロデューサーでありながら、「鬼コーチ」のような存在だったのではないでしょうか。
元はといえば「舞祭組」という困難を与えたのも中居さん。『UTAGE!』での「ハモタイム」「楽器タイム」や『中居正広のミになる図書館』ではそろばん*8など、無理難題を突き付けてきたのも中居さん。千賀くんにとって、中居さんは自分を困らせる存在、極端に言えば憎い存在でもあったのではないでしょうか。
だからこそ、あの時千賀くんが泣きながら言った言葉には真実味がありました。

「中居*9はさぁ、俺のことをどう思ってるのか聞きたい」

「普通にムカつく」

しかし南海キャンディーズ山里さんの「中居くんのこと大好きなんでしょ?」という問いかけに対しては、驚くほどの即答で「大好き」と答えました。

「大好きだからもっと近づきたいって思ってるし…もっと仲良くなりたい」

中居さんの核心に触れようとすればするほど掴みどころがなくて、苛立ってくる、そんな千賀くんを見ることができて、千賀担としても収穫のある番組でした。そしてそんな千賀くんの言葉を引き出すために、千賀くんのためにも番組のためにも席を外した中居さんの冷静な判断が流石だと思いました。

“理想は、やっぱり中居さんじゃないかなぁ。すっごい男前なの。(中略)あぁやっぱり、この人には、人がついてくるよなっていうポイントがいっぱいあるんだよね。” -TVガイド4/1号 Kissまであと何マイル?#232 より

中居さんこそが、紀元前の千賀くんにとって一番影響を与えた人物だと思います。

◼︎兄弟?相棒?パートナー?

千賀くんを語る上で欠かせない存在がもう一人。Jr.時代から千賀くんのシンメトリーである二階堂高嗣。キスマイの末っ子、にかせんコンビ。一緒にメンバーにイタズラを仕掛けたり、くだらないことで笑い合ったり、ホテルはいつも同じ部屋だったりと、まるで双子の兄弟のよう。しかし舞祭組が結成されてから、2人の関係性は少し変わったような気がします。
舞祭組結成後すぐに、二階堂くんは本格的にバラエティーアイドルへと転身します。彼は舞祭組をすんなりと「チャンス」として受け入れることができたのです。
そして2人の関係性は「兄弟」から「戦友」へと変わっていきます。
『UTAGE!』などのバラエティー番組では、共にガヤを入れる役目に専念していましたし、パフォーマンスの面でもお互いに信頼を置いていることがわかります。
2015年のライブツアーKis-My-WORLDの東京ドーム最終公演、舞祭組の歌唱中二階堂くんのイヤモニにトラブルがありました。その際彼が一番に頼りにしたのは千賀くんでした。映像をよく見ると、イヤモニに異変を感じた二階堂くんは、千賀くんに向けアイコンタクトで必死にそのことを訴えています。そしてそれを読み取った千賀くんは二階堂くんのパートを歌いました。これはにかせんが長年培ってきた信頼関係を象徴する印象的なシーンでした。*10
しかしそれと共に、千賀くんと二階堂くんは同じ土俵に立つライバルともなっていたのです。2人はキスマイ全体で見れば末っ子仲良しコンビですが、「鬼コーチ」中居さんはそんなものでは満足できなかったようです。
今年春に放送された『UTAGE!春の祭典』。千賀くんのピアノ対決の相手に選ばれたのは千賀くんに一番近い存在である二階堂くんでした。
なんとかピアノの先輩としての意地を見せ無事勝つことができましたが、「一番近い相手が一番こわいライバルだ」ということを実感させられた出来事だったと思います。

時間を遡りますが、2014年12月19日にゲスト出演した鈴木おさむさんのラジオ『よんぱち』(TOKYO FM)では、こんな話も。

最近来たメールが「あんた、このままだと二階堂に抜かれるよ!」と「(笑)」もなく、本気のメールが来ました(笑)」
TOKYO FM よんぱち オンエアレポート より
http://www.tfm.co.jp/48/smartphone/index.php?itemid=89672

千賀くんに来たお母様からのメールだそう。今までは二階堂くんに勝ってると思ってた千賀ママが流石千賀ママって感じですよね。

常に横並びだった相棒。しかし、舞祭組の結成やKis-My-Ft2の躍進につれて、「ライバル」と呼ばざるを得ない存在になってしまいました。

昨年のユニット曲「Double Up」では、子供っぽいにかせんのイメージを覆すガシガシのカッコいいパフォーマンスを披露してくれました。「千賀feat.二階堂」にならないよう工夫する千賀くんが非常に愛くるしかったですし、いつもの舞祭組とは違ってジャニーズらしいカッコいいものを作りたいという二階堂くんのこだわりも伝わってきました。
しかし、パフォーマンスを見た私の感想としては、「かっこいいけど2人に温度差を感じる」という印象を受けました。歌やダンスのスタイルがにかせんで微妙に違うことがユニットでやることによって浮き彫りになってしまった気がするのです。
正直このパフォーマンスの1年前くらいから、ツアー中も通して、「にかせんあんまり仲良くないのか?」と思うことが多かったのです。(こちらもあくまで推測の話ですが)プライベートで遊ぶこともないですし、メイキングで絡んでいる場面もあまり見られなかったように思います。特にこれといった仲良しエピソードもなく、にかせんファンとしては、少し物足りなかった1年でした。
しかし、Kis-My-WORLDのDVDに収録されたメイキングでは、曲のカッコいいイメージとは裏腹に、ふざけながらレコーディングをしたりふざけながら映像を撮ったりする2人が見られました。大人な曲を歌いながらも、2人の姿はかつての仲良しコンビのままでした。本番30分前に急遽バク転の演出を入れることになるシーンでは、にかせん、特に千賀くんの、パフォーマンスに対するプロ根性も感じることができました。(あれJr.も凄い)
ふざけて笑い合う関係は昔のまま変わらない。笑いのツボが同じところも変わらない。ずっと隣にいるのも変わらない。でも実はそんな相棒が一番のライバルで、自分を高めるために絶対欠かせない存在。もっと、お互いの良いところ悪いところを対等に言い合える関係性になれるといいなと思います。



■紀元後の千賀健永

さて、ここまで千賀健永の紀元前について語ってきましたが、まだまだ語る点はたくさんあります。語り切れません。歌のこともあるし、メンバーのことなど、紀元前の千賀くんを構成するものは他にも山ほどあります。
ここでいくつか、最近の千賀健永、つまり紀元後の千賀健永に見える変化を数点あげたいと思います。

・下ネタの解禁

・口元が出ている(ヌオー)コンプレックスの減少

・ゴリラキャラの定着

・『スイッチ』(東海テレビ)への不定期レギュラー出演

ボイストレーニング

最初の3点は、主にバラエティ番組でのキャラについてですね。今までアイドルらしく下ネタNGだった千賀くんが下ネタに果敢に挑戦するようになり*11、口元を隠し続けていた時代も終わり、頑なにゴリラキャラを嫌がっていた千賀くんがイケメンゴリラのシャバーニにはお礼を言うように*12。これが千賀くんなりに見つけたバラエティーでの「立ち位置」だったんだと思います。
また、地元名古屋の情報番組『スイッチ』の不定期レギュラーも勝ち取り、地元で自然体な千賀くんを見られる機会が作られました。(ここはアイドル枠なので無理に笑いは取りません!!)
Wink Up 6月号では、ボイストレーニングに通っているという話も。元々好きだった歌を伸ばすことも必要だと前々から思っていたので、今後の歌唱力の向上に期待が高まります。

あとは、ジャニーさん意外の演出する舞台に出ている千賀くんも見てみたいかな。






ああ、まだまだ書きたいことはたくさんあるけれど、とりあえず明日のMyojo一万字インタビューの発売前までに書きたくてバーーーっと書き連ねました。
ここまで書いたことはあくまで私の予想が多いです。
なので、明日の一万字インタビューは私にとって「答え合わせ」だと思ってます。





“ここまでの人生は紀元前って感じ。まだ意味のある年を重ねてない気がするし伸びしろを感じるでしょ(笑)?” -TVガイド4/1号 Kissまであと何マイル?#232 より





でもね健永、今までの人生が紀元前だなんて思わないで欲しい。貴方は充分意味のある歳の重ね方をしています。
ここからは紀元後じゃなくて、「新世紀」だよ。
これからもずっと、私は健永の味方だし、健永の夢を一緒に追い続けるからね。
応援してます。

*1:未音源化。少年倶楽部、コンサート”Kis-My-Ftに逢えるde Show”” Kis-My-Ft2 Debut Tour 2011 Everybody Go”で披露されている。 https://youtu.be/RKyDLSqwWjY

*2:デビュー頃のMyojo一万字インタビューにてそのような旨が語られていました

*3:ちなみに2番目は冠番組キスマイBUSAIKU!?』のスタートだと思っている

*4:全国ネット版第12回

*5:“Black&White”、“Strawberry Dance”、“Take Over”など(不確定情報)

*6:大野くんや五関くんがやっているのに千賀くんがやらないなんておなしい!絶対何かのバイアスかかってるでしょ!と思ってます(もちろんそれは舞祭組というバイアス)

*7:「悩んでいる姿を見せないこと」が一般的なアイドルの美学なのかもしれないけれど、舞祭組はそこまでも覆した気がするのだ

*8:2014年4月放送、珠算検定に挑戦する企画

*9:タメ口タイムだったため呼び捨て

*10:ちなみに私はこの時感動して大号泣していた

*11:めちゃイケ正月SPでの「必要なら(脱ぎます)」発言など

*12:『スイッチ』ロケにて