魔法にかけられて

つくりなおし

私と御茶ノ水男子と10年

私が彼らを初めて観たのは、10年前、中学3年のときである。

はんにゃ、フルーツポンチなどの所謂”お笑い第五世代”がブームになっていた当時、私も熱心なお笑いファンの1人だった。

姉の影響から東京吉本の若手芸人にハマり、放課後は毎日パソコンに張り付いてライブの生配信にくぎ付けの日々。

そんな時に私の目に留まったのが、「御茶ノ水男子」(以下、御茶男)だった。

初めてコントを見た時の衝撃と直感は今でも忘れることが出来ない。


コント「もしもアンパンマンアメリカンコミックだったら」


斬新な設定、スピード感のある展開、二人のフットワークの軽さ、そして最後のエンディングテーマ、綺麗なオチで締めくくられるこのコントに私はパソコンの前で大笑いした。

そして、この2人のことをもっと知りたくなった。



当時はまだTwitterなどのSNSが普及する前だったので、吉本の芸人さんは「ラフブロ」というブログサイトで情報発信をしていた。

その中でも御茶男の2人は自己マーケティング力が高かったな、と今になって思う。

頻繁にブログを更新し、ファンへのコメント返しも丁寧に行っていたのだ。

そんな2人のファンサービスの良さと、センスの良いコント、そしてスマートなルックスの虜になり、私は御茶男に夢中になった。

天パで色白、冷静でマメなしいはしさん。

色黒で男気溢れる、ヤンチャな佐藤さん。



毎日ライブ配信、ブログをチェックし、コメントもした。

コメントに返事がくると、中学生だった私はなんだか自分が特別な存在な気がして、すごく嬉しかった。



学校が休みだったある日、(振替休日かなんかだったかしら)私は初めて御茶男を見に、渋谷の無限大ホールに足を運んだ。

無限大に行くのはこれが2,3回目くらいだったが、ファンレターをこしらえていったのは初めてだった。

この日のことも鮮明に覚えている。

ライブ後に出待ちでファンレターを渡そうと思っていたが、劇場につくなり、チケットの手売りをしている御茶男が外にいたのだ。

動揺で手を震わせながら、「今日は御茶男を見に来ました」とファンレターを渡すと、2人とも「え、僕らにですか!?」と大いに喜んでくれた。

そして2人それぞれと2ショットを撮ってもらった。

今でもその画像は大事にとってあるが、何度見ても当時の私たちは若すぎる。

その日に彼らが舞台で披露したネタもまた、「もしもアンパンマンアメリカンコミックだったら」だった。

舞台から捌ける時に必ず三方礼をする彼らが大好きだった。






私と同時期に彼らを配信で見つけ、ファンになった人は少なくなかった。

ブログのコメント数がみるみるうちに増えていき、丁寧なコメント返しもやがては選抜式になり、

飽き性な佐藤さんはブログの更新頻度が減っていった。(これは笑い話)

様々なライブに呼ばれるようになり、すっかり東京吉本若手芸人として安定の地位を手に入れていた。



特撮好きなしいはしさんの影響で、スーパーヒーロータイムを見るようになったのも私が中3のとき。

中学を卒業するころには、帰り道で仮面ライダーダブルのモノマネをしていた。(どんな女子中学生や。)





高校生になり、バイトを始めた私は、毎週のように劇場に足を運ぶようになった。

お笑いライブは単価が安く、実家のある埼玉から東京にある吉本の劇場に通うのは難しいことではなかった。

当時私は様々なコンビを追いかけていたため、沢山のライブに足を運んだ。

その中でも、やはり御茶男は特別な存在だった。

彼らが出るライブに行くと、帰り道の満足感がいつも以上に高いのだ。

出待ちをして直接会話したのも御茶男が一番多かった。



単独ライブには必ず足を運んだ。

品川で行われた初めての単独ライブのオープニング映像は今でも忘れられない。

アニメの聖地、秋葉原にいる佐藤さんと、特撮の聖地、水道橋にいるしいはしさんが総武線に乗り、間にある御茶ノ水駅で落ち合うという、まさに2人を象徴するVTRだった。

その次の単独ライブは北沢タウンホールだったと思う。私が初めて下北沢に降り立ったのもその日だった。



思えば、私に東京の街を教えてくれたのは御茶男だった。



センター街の一番奥にある無限大ホール。

神保町の古本屋さんが並ぶ街並みにワクワクしたり。

ライブ終わりの、夜の静かな浅草寺

ルミネの7階から眺めた新宿の景色。


1人でライブに通い続けた私の東京偏差値は、みるみるうちに上がっていった。

いつも御茶男がいる東京が好きだと思った。東京で生きたいと思った。





そしてそれと同時に、御茶男の人気もどんどん上がっていき、「板尾ロマン」や「ニコリッチ」など、テレビのレギュラーも決まった。

Adachildsやホスト伝など、2人別々で仕事に呼ばれることも増えていった。

その頃から、私の夢は、御茶男が売れっ子になったときに胸を張って「私はずっと応援してきたんだ!」と自慢することだと思い始めていた。




また、それとほぼ同時期に、しいはしさんは「ヒーロートーク」という特撮好き芸人によるライブをスタートした。

最初は平日の深夜などに行われることが多く、まだ高校生だった私はなかなか行けず、とてももどかしい思いをした。

しかし、回数を重ねるごとにライブの開始時間は早くなり、私も足を運べるようになった。

マニアックなトークと最後のオリジナルヒーローショー、特撮&お笑い大好きJKにとっては、夢のようなライブで、毎回楽しかった。

集客がなかなか集まらず、ライブ終了の危機になったときは、放課後に制服のまま急いで足を運んだこともあった。






大学に入りすぐに、私には彼氏が出来た。

入学し、クラスで自己紹介をする際に「特撮が好きです」と言ったことがきっかけで、特撮好きの彼に惚れこまれ、付き合うことになったのだ。

初デートは秋葉原でフィギュア漁りだった。


御茶男は私の恋愛にまで影響を及ぼしたのだ。すごい。



もちろんその時も御茶男が好きなままだったし、ライブにも通い続けた。


やがてジャニオタになり、お笑いや特撮とは比にならないくらいのオタク代が必要になった私は、バイトに明け暮れた。

バイトが理由で御茶男のライブに行けないことも増えていった。



ちょうどそのころ、お笑いブームは衰退していた。

テレビのネタ番組は相次いで終了し、若手芸人がテレビに出られる機会は減っていった。

かつて好きだったコンビの解散、引退が相次ぎ、ライブの配信も無くなり、私自身もお笑いからは徐々に離れていた。


それでも私の心の片隅にはいつも御茶男がいて、忘れることなんてできなかった。

行ける限り、ライブには行くようにしていた。



気付けば、大学を卒業するころにはもう御茶男のことを8年も応援し続けている自分がいた。

その頃の2人は個人の仕事が多くなり、単独ライブもほとんどやらず、あるのは定期的なトークライブだけだった。

「ヒーロートーク」も、いつしか「ヒーロータイム」にタイトルを変え、メンバーも変わり、特撮俳優さんをゲストに招くような、立派なライブになっていた。

特撮オタクの間でも話題になり、チケットが取れなかったこともあった。

しいはしさんはアメトーークに出演したりと、特撮関連での個人仕事も増えていった。



かつて東京で生きたい、と思っていた私は、都会のど真ん中に就職を決め、

無限大ホールにほど近い、渋谷区で独り暮らしを始めていた。






そんな中、結成10周年を迎えた2018年には久々の単独ライブが行われた。

久々の単独ライブ、凄く嬉しかった。

なぜかラストで佐藤さんのフィリピン留学がサプライズ発表され、キョトンとしたが、とても楽しいライブだった。(今でもなんで留学したのかよくわかってない)

佐藤さんが留学から帰ってきたら、また2人揃った姿が見れる。その日を楽しみにしていた。





しかし、現実は残酷だった。


natalie.mu



薄々気付いていた。2人がもう揃わないこと、しいはしさんが表舞台から去ろうとしていること。

ずっと見ていたから、なんとなくわかった。

それでも、この解散発表の数か月前、私はしいはしさんに「2人でライブやらないんですか?」と聞いてしまった。

本人にその質問をはぐらかされたとき、私の中ではもう、終わりを悟っていた。





最後に2人だけでトークライブをやってくれたのは、2人の優しさだなと思った。


そしてこの10年、細々と1人で御茶男のオタクを続けてきた私は、

最後くらいは少し恩を着せて、出しゃばってみようと思い、祝い花を贈らせて頂いた。

(「ファン有志」と書いたが、実際は私一人からの贈り物である。)




2人の最後のトークライブは、神保町花月をパンパンにした。
(いつもは当日券でも2,3列目くらいに座れた)

いつもと違うのはそれだけで、トークライブ自体はいつもと変わらなかった。

佐藤さんの危なげな破天荒エピソードに毒を吐きながらも、トークを優しくフォローするしいはしさん。

ファンもいつも以上に佐藤さんに甘かったな、と思う。

しいはしさんが優しいツッコミを入れるたびに佐藤さんが「さみしくなるなあ」と言うと、私も涙が込み上げてくる。

ダイエット企画に失敗して坊主にした佐藤さんも、病んでおかっぱにしていた佐藤さんも、実写版沖田の腹立つ顔も、全部覚えていたし、それをずっとネタにするしいはしさんも、

なんだかんだ佐藤さんのことずっと大好きだったよなあと思う。

お互い別々のコンビだったときに出会い、改めてコンビを組み直して出来た御茶ノ水男子。お互いのことが好きに決まっている。




最後の漫才は、御茶男が今までやってきたコントを振り返るという、まるでドラマの最終回のような展開だった。

2人の人気の火付け役となったBLコントをはじめ、なんでも羽美流(ばみる)くん、ダミー人形のコントなど、懐かしさ満載で、10年間の思い出が走馬灯のように蘇った。

今思うと御茶男のコントって、シュールで突き抜けた設定のコントばっかりだった。

M-1キングオブコントも、大体予選落ちだったし、唯一出られた爆笑レッドカーペットではまさかの中笑いだった。

本当のことを言うと、他のお笑いファンに「好きなコンビは御茶男」と言って鼻で笑われたこともあった。

決して王道を走ってきたコンビではなかったけれど、それでもずっと大好きなコンビで居続けてくれた。





そして最後に披露してくれたのは、「もしもアンパンマンアメリカンコミックだったら」だった。

あのとき28歳と25歳だった御茶ノ水男子は、38歳と35歳になっていた。

14歳だった私は、24歳になっていた。

それでも、何も変わらずあのコントは私の中にも、御茶男の中にも、そしてファンの心にずっと生き続けていた。

美しすぎるエンディングだと思った。






最後に動画撮影OKになったのは佐藤さんの粋な計らいでもあったし、きっと佐藤さん自身もこの最後のコントをいつまでも残したいと思ったのだろう。




軽快なコントがオチを迎えたと同時に、舞台の幕は降りた。





終わってしまった。




2人揃った御茶男にもう拍手を送ることができないと思うと、拍手をやめることができなくなったし、涙が止まらなかった。

この10年、紛れもなく私は御茶男から幸せをもらった。

沢山の知らない景色を教えてもらった。

オタクをすることの楽しさを教えてもらった。

いっぱいいっぱい、影響を受けた。




そして私は、別々の道を歩む2人を、これからも応援し続けたいと思った。

「私はずっと応援してきたんだ!」といつしか自慢できる日がくるように。









終演後、2人と話す機会があったが、号泣が止まらず2人に握手しながら「ありがとうございました!!」とか「私の人生のすべてです!!」とか言ってしまったのはちょっと恥ずかしすぎるので是非とも御茶男の2人には忘れて欲しい。







最後に、しいはしさんは今後、芸人を辞め、表舞台からフェードアウトしていくそうだ。(今夏はまだ個人仕事がたくさん残っているが)

私は舞台で輝くしいはしさんが大好きだった。

変なメイクをしてコントしている姿も、トークライブで見せる笑顔も、涙を誘う演技も、鮮やかな殺陣も、

何年も出待ちしているのに毎回初対面のような対応をしてくるところも。(笑)


悲しくてさみしくて仕方ないけど、新しい道では、きっと更に活躍してくれると期待しています。

だから表舞台から去る最後の1日まで、必死で彼の姿を追い続けたいなと思います。







今までありがとう。








私の青春


御茶ノ水男子


終了!!!!!!!!

















P.S.最後の最後にお会いできた唯一の御茶男ファン友達の七那さん、もっと早く出会っていたかったです。どうか、これからもよろしくお願いします。

10年追いかけた推しの解散を見届けた話 - 広く浅くで大惨事