魔法にかけられて

つくりなおし

2016年上半期のジャニヲタ活動を振り返る。

※この記事は2016年7月30日に書いたものです。





1月

  • 史上最高の「ジャニーズカウントダウン」で新年が幕を開けた
  • 映画「ピンクとグレー」公開。二度観に行く
  • ドラマ「怪盗山猫」に超ハマる。成宮くんに。(そっちかよ)
  • ドラマ「傘を持たない蟻たちは」
  • SMAP解散報道
  • 「Kis-My-WORLD「 DVD、NEWS「ヒカリノシズク/Touch」同日発売でてんやわんや。
  • 少年倶楽部プレミアムにてKAT-TUNとNEWSの運動会開催(神企画)(鬼リピ)

2月

  • KAT-TUN「Tragedy」発売
  • KAT-TUN3大ドームツアー決定。発表と同時に名古屋行きの夜行バスを予約。
  • KAT-TUNがドームツアーを最後に充電期間に入ることを発表。目の前が真っ暗に。
  • Kis-My-Ft2「Gravity」発売(買ってない)
  • NEWS「QUARTETTO」発売(買ってない)
  • Johnny's web「淳之介田口の話。」連載終了


3月

  • KAT-TUN「UNLOCK」発売
  • タメ旅番協(最前真ん中で手振ってました) 初めての生KAT-TUN、最後の生田口淳之介。hyphenさんのお友達ができる。
  • KAT-TUNの「少年倶楽部プレミアム」放送終了
  • 千賀健永、25歳になる
  • KAT-TUNデビュー10周年、「10ks!」発売
  • 四人のKAT-TUNとして最後の「MUSIC STATION」出演。ここ数年で一番泣く。
  • KAT-TUNの世界一タメになる旅」放送終了。田口くん最後のテレビ出演。
  • KAT-TUN田口淳之介 退所

↑書きながら泣きそう


4月


5月

  • KAT-TUN3大ドームツアー「10Ks!」オーラス。KAT-TUNが充電期間へ
  • 渋谷で平野紫耀くんと高橋海人くんに遭遇事件

(就職活動に勤しんでおりました)


6月





この記事、本当は6月中から書き始めてたんです。しかしこの半年間、本当に本当につらい出来事がたくさんあって、怒涛のように時間が過ぎて行きました。そんな半年間を振り返るのがすごくつらくて、しんどくて、この記事を書くのはやめようかと、何度も下書きを消そうとしました。

でも、私はこの半年間を残しておきたい。覚えていたい。悲しかったことが沢山あったけれど、やっぱりジャニヲタは楽しかった。ジャニヲタを辞めるという選択肢を私に与えてくれなかった。


この半年間で、私の担当グループであるKAT-TUNは一つの決心を下しました。そして10周年を迎えたと同時に、メンバーが一人船を降り、KAT-TUNという船は航海を休むことになりました。
何度も涙を流したし、悩んだけど、私にできることは本当にちっぽけだった。それでも私は彼らを追い続けた。最後の日まで全力で追いかけ回した。就活の合間を縫ってファミクラに立ち寄ってファンレターや要望を出したり、番協に応募しまくったり、お金も友達もいないのに名古屋に行ったり。
正直、すごく充実してたし、こんな新規ファンなのにhyphenさんたちはすごく温かくて優しかった。本当に感謝です。



そんな中、NEWSは今年に入ってから目まぐるしい大躍進を遂げましたね。
24時間テレビのパーソナリティーや、シゲの小説の映画化とドラマ化、冠番組のレギュラー化。
よく考えたら全然上の所に書ききれてないね(笑)
そのくらい勢いがあったというか、今となっては安定してしまったというか、ただ私が追いきれてなかっただけなんだけどねw
コンサートのオーラスの最後に、手越くんが「俺たちがどんなに成功して大きくなっても-」って言ってたのがすごく印象的だった。
今はただただ四人の体が心配。はやくにーよん終わるといいねえ…(母目線)



さて、キスマイ。ぶっちゃけ、私がKAT-TUNに奔走してる間全然活動してなくて助かってたっていうのが本音(笑)
でも、それって事務所絡みの諸々のせいなんだよね…だからちょっと笑えない。
舞祭組のアルバムの話は結局何処かに行ってしまったし、それどころかシングルのリリースも無し。
それでもキスマイはSMAP、特に中居さんへのリスペクトは忘れてないと思うし、実際中居さんには未だにお世話になりっぱなし。はやくまた2グループでわちゃわちゃできたらいいなあーって思います。
SMAPはキスマイにとってお父さんみたいな存在!って勝手に思ってる。(笑)

グループとしては今年は5周年。アルバムにはついに一人一人のソロ曲が入りました。5周年という節目を踏み台に、まだまだ躍進していこうという姿が見られるアルバムになりました。
これからも枠にとらわれず、自分たちのスタイルを模索していって、10周年を迎える時には胸を張って「俺たちは成長した」って言えるようになってて欲しいな。





ということでちょっと真面目モードでお送りしてしまいましたが、この上半期でジャニヲタを極めすぎて恋愛するの忘れちゃいましたww

もー!ジャニヲタ楽しすぎる!



なので下半期の目標は!!!




学生生活最後の年だし、思いっきりジャニヲタしちゃえばいいじゃん!!♡



今のところ残ってる現場はキスマイの東京ドームとドリボだけだけど!!
なんか増えるといいな!!!

番協にも参加できるだけして、悔いのないジャニヲタライフを!!








…つまり現状維持。(笑)






おしまい。

*1:詳しくはコチラ!楽しいですよ!!イベント情報|ダイノジのエンタメ情報blog

初めてKis-My-Ft2のコンサートに行った日

※この記事は2016年6月3日に書いたものです。

お題「初めて○○のコンサートに行った日」

私の初めてのコンサートは、2014年7月5日。Kis-My-Ft2、4大ドームツアーKis-My-Journeyの初日だった。
場所はナゴヤドーム
そう、初めてのコンサートにして初めての遠征だったのだ。

その前年の11月に突如キスマイ沼に落っこちた私にとって、念願の初現場。初めての生自担だった。
ライブDVDを何度も観て、Kis-My-Ft2の曲は全て知っている状態で、最高のコンディションで、最高の仲間と参戦することができた。

事前の準備段階から初めてのことだらけで凄くワクワクした。
初めての申し込み、初めての当落確認。遠征の段取り、初めての団扇作りなどなど、、、全部が新鮮で楽しくて仕方なかった。

そして迎えたナゴヤドーム初日。
当日は朝から曇り。ドーム前のイオンで昼食を済ませ外に出ると雨が土砂降りだった。

座席は一階スタンドの中央寄り、20〜30列くらいだった。今思うと初めてのコンサートに相応しい神席だったと思う。
3連で、横尾担、北山担と入りました。彼女たちもファン歴は同じだったので初現場。

私はコンサート自体これが人生で初めてだったのだが、それまではお笑いのライブで小さ〜い劇場に何度も足を運んでいたので、ジャニヲタになる前は

「ドームでのライブとか、豆くらいの大きさにしか見えないじゃん、ほぼモニター見てるだけじゃん、それで会った気になるとかジャニヲタ痛いわ(笑)」

なんて思ってました。そう、アンチジャニヲタでした。(ビンタ)


しかしいざ会場に入ってみると、超巨大な規模のステージや機材。
想像していた以上に外周も近くて、


「ここをキスマイちゃん達が通るの…!?!?信じられない!!!!」


と突然のパニック。


まさかの開演前に号泣。


友達困惑してたよね。まだキスマイ出てきてないのにね。



そんなこんなでフワフワしたまま開演。

ジャニーズのコンサートといえば、


叫ぶ!!!!




C&R!!!!





踊る!!!!



っていうのを想像してたけど、案外みんな静かでビックリした。いや、叫ぶ人は叫ぶけど野鳥の会の人も沢山いるし、ペンラは頭の高さまでだし席狭いし全然動けない。マジか。



若干の理想と現実はありつつも、Kis-My-Journeyは今思い出しても本当にいいセトリだった。


何と言ってもラブアイランド。

ダイスキデスね。

あのメンカラパステルタキシードのパンチ力。

ダイスキデスからの ずっと〜You are my everything〜*1の流れが本当に甘くて、ひゃ〜〜愛された〜〜♡

ダイスキデスの歌詞は「君を独り占めしたいよ」の部分が後世に語り継ぎたいくらいの傑作。
あの何万人もの空間で、誰も自担を独り占めしたくなるはず…!ああ、健永を独り占めしたい…!!


玉森くんソロ曲Only One...の魅力についてはこちらを。

gachizeis.hatenablog.jp

ドームでの片足フライングの強烈さ。



あと思い出深いのはLU4E。
終わって、「たいぴワールドや…」ってウットリしながら隣見たら横尾担の友人が涙流して崩れ落ちてて超笑った。


もう全体を通して目が忙しい!!!1秒1秒の情報量が多すぎるのよねジャニーズのコンサートは!!
目が足りないってこういうことか…!と実感。

自担に集中してるとモニターで玉森くんがウィンクしてるし、まず初めて双眼鏡というものを使ったから全然慣れなくて全然追えなくて苦労したあ…きっと色んな瞬間を逃してたんだろうなあ私…


全力でC&Rもやって、一曲一曲が流れるごとに友人と手を取り合って喜んで、本当にあっという間の3時間だった。
外周やトロッコで自担が近くを通った時は「健永!!!健永!!!」と必死に叫んで、友人たち「コイツやべえ」と思ったらしい。ね、スタンド前列でもないのにやばいね。でも当時は声届くと思ってたんだ。(距離感がバカ)


ただ1番驚いたのは銀テープ。
私ジャニヲタにとって銀テープがそんなに重要なものだなんて知らなくて、降ってきた瞬間争奪戦起きてびっくりした…
通路側の3連で、私が1番内側の席に座ってたんだけど、銀テープが降ってきた瞬間隣の友人たちが銀テープ拾いに消えたからね。
一枚いる?って言われたけど、「それゴミじゃないの…?」って思って断った。

ちなみに未だにこの価値観は変わってないし銀テープ降ってきても拾わないです。てか銀テープ降ってくる席にそれ以来当たってないかも知れない(悲しい)


こんな感じでフワフワ〜〜と初めての現場は終了。
終わった後も感想が口から溢れ出てきてあっという間に夜行バスの時間だった。
大満足、それしかない。
未だにこのコンサートを超える現場ってないかも。(10ks!オーラスは別枠ね)






あ、キスマイ内での人気の格差そこで初めて肌で感じて悲しくもなったなあ…結構ショック大きかった

*1:ずっと は初日以降カットだった。なんでよ…

Myojo一万字インタビューへ、私なりの答案用紙 - 紀元前の千賀健永

※この記事は2016年5月23日に書いたものです。

“ここまでの人生は紀元前って感じ。”

‐TVガイド4/1号 Kissまであと何マイル?#232 より





2016年、25歳になり、Kis-My-Ft2としてデビュー5周年を迎える千賀健永。そんな彼は、今までの人生を”紀元前”と称する。私は最愛の自担千賀健永のこの言葉に衝撃、というよりショックを受けた。

Kis-My-Ft2がデビューしてから、彼は着実に前へと進んできた。ダンス、バラエティー、そして舞祭組。振り返ると、彼の努力する姿ばかりが思い浮かぶ。この5年は千賀健永として意味のある5年間だったように思う。そんな彼からこの言葉が発せられたのだから、ショックは大きかった。

なぜ彼はこの言葉を発したのか?なぜ彼はここから更に進化しようとしているのか?それを紐解くため、ここ最近のインタビュー記事を参考に千賀健永の“紀元前”の歩みを振り返ってみたいと思う。


◼︎ジュニア時代〜デビュー

小さい頃からダンスをやっていた千賀くんは2003年4月13日、親同士が知り合いだった嵐の櫻井翔くんの影響でジャニーズ事務所に入ります。地元名古屋から上京し、大好きなダンスで頭角を表し、Kis-My-Ft2結成後、2007年には舞闘冠というグループにも選抜されました。”Exit”*1というソロ曲まで与えられており、かなり期待されていたJr.だったことが伺えます。私はそのころのことは知らないのですが、当時を知る人に話を聞くと、かなり人気のあるJr.だったと口を揃えて言われます。そんな所謂エリートJr.だった千賀くんは、Kis-My-Ft2としてCDデビューを果たします。しかし彼を待っていたのは”後列“という現実。Jr.時代はグループの曲でもきちんと見せ場となる歌割りがあり、藤北の二人に続いて目立つポジションを務めていた。しかし、玉森くんの人気が上がるにつれ、徐々に千賀くんは後列に下がっていきました。そしてデビュー頃にハッキリと示された3-4の構図。千賀くんの心では葛藤があったでしょうし、「いつかフロントに」という闘志も燃やしていました。*2”後列の4人”として地道に、一生懸命活動しながらも、なかなか日の目を浴びない日々を過ごします。

■”ターニングポイントは舞祭組“-TVガイド4/1号 Kissまであと何マイル?#232 より

舞祭組は千賀健永としても、後列の4人としても、Kis-My-Ft2としても、この5年において最も大きなターニングポイントと言えるでしょう。*3ここまで二枚目路線で突っ走ってきた千賀くんが、突然三枚目になることを余儀なくされるのです。

“むしろそういうことをしちゃいけないのがアイドルだと思ってたから、最初に聞いた時はそこまで喜べなかった。(中略)絶対”カッコいい方向“が正解だと思ってた” -TVガイド4/1号 Kissまであと何マイル?#232 より

“健永がいちばん迷ってた気がするかな。迷ってたっていうのは語弊があるかもしれないけど、マジメな性格なんで、グループのためになるのかどうか戸惑いみたいなものがあったと思う”-Myojo 2016年6月号 藤ヶ谷太輔一万字インタビュー より

舞祭組としてデビューしてから、千賀くんは様々なプライドという壁を壊してきたように思います。歌やダンスのパフォーマンスは勿論、バラエティー番組への露出も増え、求められることも、普通のアイドルというよりは芸人寄りのことになってきます。

■苦難の2014年夏

まず、この章で書くことは全て私の推測です。
2014年の夏ごろは、千賀健永にとってとても過酷な日々だったのではないでしょうか。このころの千賀くんからは、自然で無邪気な笑顔は消え、常に顔は強張り、頬はこけていました。
この時期に何があったかというと、舞祭組2ndシングル”てぃーてぃーてぃーてれっててれてぃてぃてぃ~だれのケツ~“の発売がありました。この曲の発売が発表されたのは『キスマイBUSAIKU!?*4でのことでした。私はこの時の千賀くんの表情が忘れられません。曲名と、歌詞がプロデューサーの中居さんから発表されたときの千賀くんの強張った表情。ジャニーズが歌う曲としては侮辱的な歌詞。千賀くんの目指していたジャニーズ像とは真逆なものでした。他のメンバーが中居さんにツッコミを入れる中、ひたすら唇を噛んでいました。その収録で千賀くんの納得した姿は見られませんでした。勿論何事にも一生懸命で努力を怠らない千賀くんなので、この曲に対しても全力で取り組みました。

“俺、お尻のことをケツっていうことに対して若干抵抗あるからそこからスタートです。笑(中略)中居さんから頂いたチャンスをみんなにいい形でプレゼント出来るように汗水垂らして舞祭組なりの良さをこのてぃーてぃーてぃーてれって てれてぃてぃてぃ~だれのケツ~でまた新しく伝えて行きたいと思います。”-Johnny’s web キスログ 2014年6月23日更新分 より

良い子過ぎるぞ千賀くん。

”ケツ”という下品な言葉からはかけ離れた育ちの良い千賀くんは覚悟を決め、この言葉通り汗水たらして全力のパフォーマンスを見せてくれました。

しかし、これ以降彼の自然な笑顔を見ることは少なくなりました。舞祭組として出演した『MUSIC JAPAN』では歌やダンスを間違える千賀くんらしくない場面もありました。歌やバラエティーでは無理やり作ったような笑顔を見せ、『キスマイBUSAIKU!?』でもパッとした成績を収めることもありませんでした。この頃徐々に「口元が出ている」といじられることが多くなり、笑うときは口を抑えることが多かったです。私自身この頃を「千賀担病み期」と呼んでいました。なのであまり画像を保存したり雑誌を購入するということがなく、この頃のデータはあまり持っていません(笑)“てぃーてぃ(略)”のCD自体MVすら観たくなかったので購入したのは通常版(唯一ジャケットが赤ちゃんじゃない)と千賀盤のみでした。
Kis-My-Journey Tourや舞台DREAM BOYS 2014も重なり、多忙の日々でもありました。まさにキスマイがノリに乗っていた時期でもありましたから。
口元をいじられることが相当嫌だったらしく、フェイスマッサージをしすぎて頬がこけていたのも心配でした。(今振り返ると笑い話に聞こえるけど当時はこっちも必死だった)

これはかなり私の予想の中での話ですが、この頃他のKis-My-Ft2メンバーも千賀くんが心配だったのかなと思います。”Perfect World”のMVメイキングでは、メンバーが千賀くんと積極的にじゃれ合いにいくシーンが目立ったように思います。彼もあの時は久しぶりにリラックスした表情を見せてくれホッとした記憶があります。また、グループでの雑誌の取材の際にも千賀くんの話を積極的に出していてくれていたように思います。千賀くんはこの頃本当に辛そうで、Kis-My-Ft2を辞めてしまうのではないか?と不安になったくらいです。(あくまで予想の話ですが)

■千賀健永にとってのDREAM BOYS

舞台DREAM BOYSではとても伝統のあるチャンプ役を二年間演じました。2014のチャンプから2015のチャンプは、演技の質がグッと上がり、千賀くんがこの役をどれだけ深く掘り下げ、考え自己演出したかが一目瞭然でわかります。まるで違う役をやっていたかのように。
しかし、この舞台が千賀くんに与えたものは、演技を学ぶ場所だけでなく、千賀くんが自分らしくパフォーマンスをする場所でした。ソロ曲の存在、これはキスマイの後列である千賀くんにとって数少ないチャンスでした。自ら作詞、振付、Jr.の構成まで作り上げた“BOMB”は、千賀健永にしかできない曲に仕上がりました。2015年には「千ラー」と称し、尊敬するマイケル・ジャクソンの“Thriller”を披露しました。この舞台は千賀くんが自分のやりたいパフォーマンスをすることを叶えてくれた、貴重な場所でした。

ー貴方にとって舞台とは?
ー貴方にとってDREAM BOYSとは?
という問いに対して
”本来の自分を出せる場所。”
ーDREAM BOYS 2015パンフレットより

この言葉を聞いたとき、この人のことは信頼して応援できる、と思いましたし、千賀健永のパフォーマンスはまさに千賀健永そのものなんだと確信することができました。

■千賀健永=ダンス

やはり千賀健永という人物の代名詞となる言葉は「ダンス」に他ならないでしょう。ここ数年では振付をする機会もグッと増え、体幹の整った重力感のある丁寧なダンスは他のジャニーズタレントからも一目置かれています。また、バラード調の曲につける振付は女性的でしなやかな表現力を持っています。
今まで振付をした曲は、
“君にあえるから”、“Striker”、“サクラヒラリ”、“FOLLOW”、“Double Up”、“Halley”、“ETERNAL MIND”(Kis-My-WORLD バージョン)、“if”、“Shake Body!!”
等…他、振付に関わった曲も多数。*5

“デビューした時に、やっていきたいなと思ったのは特にダンス。(中略)ダンスの仕事は年々、少しずつできてるかな。(中略)でも、もっとやりたい。シングル曲とかも。「千賀でいきたい」って言ってもらえるように、もっと勉強しなきゃと思ってる。“-TVガイド4/1号 Kissまであと何マイル?#232 より

“ダンスのカベっていうのは、過去にいくつもあって、(中略)ひとつのカベを越えるとまた次のカベが来て…のくりかえし。今は魅せ方の部分で、また次のカベを乗り越えたいって思っている最中。”-Wink Up 2016年6月号 より

シングル曲の振り付けは千賀くんにとっても、千賀担にとっても一つの目標。*6できれば今年中には達成させて欲しい。そのためにも、カベを乗り越えることが課題みたいです。

■舞祭組が与えてくれたもの

千賀くんにとって苦難の連続だった舞祭組としての活動。
2014年の春には、プロデューサーの中居さんが司会を務める「UTAGE!」に舞祭組としてレギュラー出演しました。
gachizeis.hatenablog.jp
詳しくはこちらの過去記事をご覧下さい。
この番組で千賀くんは、得意であると思っていた歌唱力を舞祭組ごと否定され、ピアノに挑戦し、罵倒されたり、挫折を味わったり、涙を流すこともありました。(頻繁に)
しかし、番組が終わると、舞祭組には「歌が下手」しかし「下手なりに一生懸命」というイメージがつきました。千賀くんにはピアノという新たな持ち味が増え、舞祭組としてはバンドに挑戦することもできました。
舞祭組になってから、バラエティー番組への露出が大幅に増え、悩んでいる姿もたくさん見てきました*7が、そこで得てきたものはすごく大きかった。舞祭組としてのパフォーマンスの色や、バラエティーでの立ち位置もわかってきて(勿論まだまだ模索中ではある)、もう「後ろの四人」とは言えないほどの活躍ぶりを見せています。千賀くんの価値観もすっかり変わりました。

“活動をやっているうちに、その意味がだんだんわかってくるんだよね。これが伏線になって、結局カッコいいことする時の振り幅にもなるし、自分たちに足りなかったバラエティー力もつけられるし、実はすごく大事なことだった。コンサートで初めて披露したとき、めっちゃ盛り上がって。あの時に、本当によかったなぁって思った。自分が行きたくなかった、真逆の方向にこそ答えがあるんだなって。” -TVガイド4/1号 Kissまであと何マイル?#232 より

舞祭組がデビューしたときに行われたコンサート“SNOW DOMEの約束 in Tokyo Dome”では、初めてファンの前で披露した“棚からぼたもち”がこの日一番の声援を浴びました。
実際、私はこの曲を歌う千賀健永に惚れ、千賀担となりました。舞祭組の活動がグループ全体のバネともなった気がします。
そして何より舞祭組が千賀くんに与えてくれたものは、尊敬できる先輩、中居さんではないでしょうか。

ナカイの窓 ハワイSP

2016年3月に放送された『ナカイの窓』ハワイSPでは、中居さん、陣内智則さん、アンジャッシュ児嶋さん、ハリセンボン春菜さん、南海キャンディーズ山里さんに混じりロケに参加しました。腕のある芸人さんに囲まれた中で千賀くんは自分の立ち位置に迷い、葛藤し、最後にはお酒に酔って号泣するシーンもありました。千賀くんがそこまで困ってしまった原因は「中居正広」という存在に他ならないでしょう。

“『ナカイの窓』のハワイロケは、ホントに大きな経験になったなぁ。(中略)ほんのちょっとでも笑いが取れるんじゃ…なんて思ってたプライドがこっぱみじんに砕け散って、そりゃ最後のごはん会でも涙も出てきちゃうって(笑)(中略)あれだけの腕を持った芸人さんでも、自分の立ち位置に立つのに必死…それがわかっただけでも、すごく大きな収穫だったよ”-Wink Up 2016年6月号 より

“中居さんが俺に「千賀、ダメだな~」とか言うのは愛だって分かる。でも、その愛にちゃんと応えられてないな、って。今、メンタルがボロッボロ。自信やプライドは全部壊れた。” -TVガイド4/1号 Kissまであと何マイル?#232 より

そんなに中居さんにプレッシャーを与えられてるようには見えなかったけど(笑)、千賀くんなりにかなり奮闘したこのロケは、彼の中でもかなり大きな出来事だったようで、様々な取材でこのロケの話をしています。

最後のごはん会で号泣しながら中居さんについて話をした千賀くん。千賀くんにとって中居さんは、尊敬する先輩、自分にチャンスをくれたプロデューサーでありながら、「鬼コーチ」のような存在だったのではないでしょうか。
元はといえば「舞祭組」という困難を与えたのも中居さん。『UTAGE!』での「ハモタイム」「楽器タイム」や『中居正広のミになる図書館』ではそろばん*8など、無理難題を突き付けてきたのも中居さん。千賀くんにとって、中居さんは自分を困らせる存在、極端に言えば憎い存在でもあったのではないでしょうか。
だからこそ、あの時千賀くんが泣きながら言った言葉には真実味がありました。

「中居*9はさぁ、俺のことをどう思ってるのか聞きたい」

「普通にムカつく」

しかし南海キャンディーズ山里さんの「中居くんのこと大好きなんでしょ?」という問いかけに対しては、驚くほどの即答で「大好き」と答えました。

「大好きだからもっと近づきたいって思ってるし…もっと仲良くなりたい」

中居さんの核心に触れようとすればするほど掴みどころがなくて、苛立ってくる、そんな千賀くんを見ることができて、千賀担としても収穫のある番組でした。そしてそんな千賀くんの言葉を引き出すために、千賀くんのためにも番組のためにも席を外した中居さんの冷静な判断が流石だと思いました。

“理想は、やっぱり中居さんじゃないかなぁ。すっごい男前なの。(中略)あぁやっぱり、この人には、人がついてくるよなっていうポイントがいっぱいあるんだよね。” -TVガイド4/1号 Kissまであと何マイル?#232 より

中居さんこそが、紀元前の千賀くんにとって一番影響を与えた人物だと思います。

◼︎兄弟?相棒?パートナー?

千賀くんを語る上で欠かせない存在がもう一人。Jr.時代から千賀くんのシンメトリーである二階堂高嗣。キスマイの末っ子、にかせんコンビ。一緒にメンバーにイタズラを仕掛けたり、くだらないことで笑い合ったり、ホテルはいつも同じ部屋だったりと、まるで双子の兄弟のよう。しかし舞祭組が結成されてから、2人の関係性は少し変わったような気がします。
舞祭組結成後すぐに、二階堂くんは本格的にバラエティーアイドルへと転身します。彼は舞祭組をすんなりと「チャンス」として受け入れることができたのです。
そして2人の関係性は「兄弟」から「戦友」へと変わっていきます。
『UTAGE!』などのバラエティー番組では、共にガヤを入れる役目に専念していましたし、パフォーマンスの面でもお互いに信頼を置いていることがわかります。
2015年のライブツアーKis-My-WORLDの東京ドーム最終公演、舞祭組の歌唱中二階堂くんのイヤモニにトラブルがありました。その際彼が一番に頼りにしたのは千賀くんでした。映像をよく見ると、イヤモニに異変を感じた二階堂くんは、千賀くんに向けアイコンタクトで必死にそのことを訴えています。そしてそれを読み取った千賀くんは二階堂くんのパートを歌いました。これはにかせんが長年培ってきた信頼関係を象徴する印象的なシーンでした。*10
しかしそれと共に、千賀くんと二階堂くんは同じ土俵に立つライバルともなっていたのです。2人はキスマイ全体で見れば末っ子仲良しコンビですが、「鬼コーチ」中居さんはそんなものでは満足できなかったようです。
今年春に放送された『UTAGE!春の祭典』。千賀くんのピアノ対決の相手に選ばれたのは千賀くんに一番近い存在である二階堂くんでした。
なんとかピアノの先輩としての意地を見せ無事勝つことができましたが、「一番近い相手が一番こわいライバルだ」ということを実感させられた出来事だったと思います。

時間を遡りますが、2014年12月19日にゲスト出演した鈴木おさむさんのラジオ『よんぱち』(TOKYO FM)では、こんな話も。

最近来たメールが「あんた、このままだと二階堂に抜かれるよ!」と「(笑)」もなく、本気のメールが来ました(笑)」
TOKYO FM よんぱち オンエアレポート より
http://www.tfm.co.jp/48/smartphone/index.php?itemid=89672

千賀くんに来たお母様からのメールだそう。今までは二階堂くんに勝ってると思ってた千賀ママが流石千賀ママって感じですよね。

常に横並びだった相棒。しかし、舞祭組の結成やKis-My-Ft2の躍進につれて、「ライバル」と呼ばざるを得ない存在になってしまいました。

昨年のユニット曲「Double Up」では、子供っぽいにかせんのイメージを覆すガシガシのカッコいいパフォーマンスを披露してくれました。「千賀feat.二階堂」にならないよう工夫する千賀くんが非常に愛くるしかったですし、いつもの舞祭組とは違ってジャニーズらしいカッコいいものを作りたいという二階堂くんのこだわりも伝わってきました。
しかし、パフォーマンスを見た私の感想としては、「かっこいいけど2人に温度差を感じる」という印象を受けました。歌やダンスのスタイルがにかせんで微妙に違うことがユニットでやることによって浮き彫りになってしまった気がするのです。
正直このパフォーマンスの1年前くらいから、ツアー中も通して、「にかせんあんまり仲良くないのか?」と思うことが多かったのです。(こちらもあくまで推測の話ですが)プライベートで遊ぶこともないですし、メイキングで絡んでいる場面もあまり見られなかったように思います。特にこれといった仲良しエピソードもなく、にかせんファンとしては、少し物足りなかった1年でした。
しかし、Kis-My-WORLDのDVDに収録されたメイキングでは、曲のカッコいいイメージとは裏腹に、ふざけながらレコーディングをしたりふざけながら映像を撮ったりする2人が見られました。大人な曲を歌いながらも、2人の姿はかつての仲良しコンビのままでした。本番30分前に急遽バク転の演出を入れることになるシーンでは、にかせん、特に千賀くんの、パフォーマンスに対するプロ根性も感じることができました。(あれJr.も凄い)
ふざけて笑い合う関係は昔のまま変わらない。笑いのツボが同じところも変わらない。ずっと隣にいるのも変わらない。でも実はそんな相棒が一番のライバルで、自分を高めるために絶対欠かせない存在。もっと、お互いの良いところ悪いところを対等に言い合える関係性になれるといいなと思います。



■紀元後の千賀健永

さて、ここまで千賀健永の紀元前について語ってきましたが、まだまだ語る点はたくさんあります。語り切れません。歌のこともあるし、メンバーのことなど、紀元前の千賀くんを構成するものは他にも山ほどあります。
ここでいくつか、最近の千賀健永、つまり紀元後の千賀健永に見える変化を数点あげたいと思います。

・下ネタの解禁

・口元が出ている(ヌオー)コンプレックスの減少

・ゴリラキャラの定着

・『スイッチ』(東海テレビ)への不定期レギュラー出演

ボイストレーニング

最初の3点は、主にバラエティ番組でのキャラについてですね。今までアイドルらしく下ネタNGだった千賀くんが下ネタに果敢に挑戦するようになり*11、口元を隠し続けていた時代も終わり、頑なにゴリラキャラを嫌がっていた千賀くんがイケメンゴリラのシャバーニにはお礼を言うように*12。これが千賀くんなりに見つけたバラエティーでの「立ち位置」だったんだと思います。
また、地元名古屋の情報番組『スイッチ』の不定期レギュラーも勝ち取り、地元で自然体な千賀くんを見られる機会が作られました。(ここはアイドル枠なので無理に笑いは取りません!!)
Wink Up 6月号では、ボイストレーニングに通っているという話も。元々好きだった歌を伸ばすことも必要だと前々から思っていたので、今後の歌唱力の向上に期待が高まります。

あとは、ジャニーさん意外の演出する舞台に出ている千賀くんも見てみたいかな。






ああ、まだまだ書きたいことはたくさんあるけれど、とりあえず明日のMyojo一万字インタビューの発売前までに書きたくてバーーーっと書き連ねました。
ここまで書いたことはあくまで私の予想が多いです。
なので、明日の一万字インタビューは私にとって「答え合わせ」だと思ってます。





“ここまでの人生は紀元前って感じ。まだ意味のある年を重ねてない気がするし伸びしろを感じるでしょ(笑)?” -TVガイド4/1号 Kissまであと何マイル?#232 より





でもね健永、今までの人生が紀元前だなんて思わないで欲しい。貴方は充分意味のある歳の重ね方をしています。
ここからは紀元後じゃなくて、「新世紀」だよ。
これからもずっと、私は健永の味方だし、健永の夢を一緒に追い続けるからね。
応援してます。

*1:未音源化。少年倶楽部、コンサート”Kis-My-Ftに逢えるde Show”” Kis-My-Ft2 Debut Tour 2011 Everybody Go”で披露されている。 https://youtu.be/RKyDLSqwWjY

*2:デビュー頃のMyojo一万字インタビューにてそのような旨が語られていました

*3:ちなみに2番目は冠番組キスマイBUSAIKU!?』のスタートだと思っている

*4:全国ネット版第12回

*5:“Black&White”、“Strawberry Dance”、“Take Over”など(不確定情報)

*6:大野くんや五関くんがやっているのに千賀くんがやらないなんておなしい!絶対何かのバイアスかかってるでしょ!と思ってます(もちろんそれは舞祭組というバイアス)

*7:「悩んでいる姿を見せないこと」が一般的なアイドルの美学なのかもしれないけれど、舞祭組はそこまでも覆した気がするのだ

*8:2014年4月放送、珠算検定に挑戦する企画

*9:タメ口タイムだったため呼び捨て

*10:ちなみに私はこの時感動して大号泣していた

*11:めちゃイケ正月SPでの「必要なら(脱ぎます)」発言など

*12:『スイッチ』ロケにて

遠征のプロになりたい③

※この記事は2016年4月8日に書いたものです。

ついに遠征シリーズも3回目!
そうです。3度目の遠征に行ってきました。




KAT-TUNの10周年記念ライブツアー10Ks!初日のナゴヤドーム公演に、1人で遠征してきたのである。初めての一人遠征そもそもKAT-TUNのコンサート自体初めて。しかし、そんなことに怖気付いている暇はなかった。ていうかツアー発表された瞬間名古屋への夜行バスを予約している私。(笑)

就活中、お金もない、1人、ということで今回は日帰りで観光要素も特にないコンパクトな遠征にまとめてみた。春っていうのもよかった。フォロワーさんに会う予定なかったらずっとすっぴんでいようかと思ったくらい(笑)

良かった点は太文字で、反省点は赤文字で表記していこう。


21:00頃 家を出発
安定のすっぴん。1人だから気楽!って思ったけど、結構寂しいなあと家を出てすぐ気付く。
忘れ物が不安で仕方なかった…確認し合う相手もいないし、とりあえずお金とチケットと双眼鏡持ってればいいか!くらいの心意気で。
次回用に何を持っていったかメモっておこう。

  • お財布
  • チケット
  • 双眼鏡
  • 自作うちわ*1
  • 化粧品(基本のメイクセットとお直し用セットでポーチは分けておく)
  • ウォークマン
  • 手提げバッグ*2
  • 充電器
  • 暇つぶし用の大学のテキスト
  • ティッシュ
  • タオル
  • 手帳
  • ペン
  • マスク

こんなもんだったかな〜〜。結構最小限に抑えた。後述するVIPラウンジに何が置いてあるのかリサーチしてあったので洗面用具は持って行かなかった。1日くらいなら何使ってもいいかなぁと(笑)


23:00 夜行バス出発
いつも通りWILLAR EXPRESSを利用。なんかいつも小雨だよなあ。なんて思いながら乗車。

写真だけはいっちょまえに撮る。

バスはまさかの窓側の席…隣の人は違うジャンルのヲタクっぽかった。SAでの休憩、降りたいなあ。。と思いながら就寝。
SAに着くたびに目は覚めたんだが、隣の人が外に出ない。なんとか前を通って出ようかとも思ったけど隣の人の前の人がめっっっちゃシート倒してて出れない………
幸いトイレには行きたくならなかったけど、腰が死にそうだった…


6:20 名古屋到着
キターー!!!!自担の出身地名古屋ー!!!久しぶりー!!!
とか言ってる場合じゃないくらい足浮腫んでた。


6:45頃 VIPラウンジへ
存在は知っていたけど初めて利用してみました。バスはVIPライナーではなかったのだけど、1時間500円で使えるとのことなので、化粧だけササッとして出ようと思い利用。
混んでた。
バスが着く時間ドンピシャだったし、hyphenさん沢山いた。パウダールームは行列だし、初めてだからよくわかんないし、とりあえずせっせと化粧だけしてそそくさと出ました。うう、パウダールーム暑かった…
満喫にすりゃよかったかなとちょっと後悔。


8:30頃 ナゴヤドーム到着
コンビニでパンを買い、物販列へ。プレ販はあったものの、アラームクロックは公演当日しか無いし、遠征組が多いだろうということで何時間でも並ぶ覚悟はありました。暇だし。


10:30頃 グッズ購入
2時間並んだ〜〜!持ってきたテキストも読み終わったし、充電もそんなにないからひたすらボーってしてた。
希望のものは問題なく購入。
ブースの分け方がわかりにくくて何回も並んだ…


スーパー暇タイム
さて、開場時間は14時。お金もないし、お腹も空いてないし、何をしよう。
とりあえず空いているトイレに行って化粧直し。4ゲートのとこのトイレめっちゃ空いてて独り占めしてた(笑)
ドーム周りを歩きながら音漏れも聞こえた(^ω^)
あとなんかウッドデッキのところで荷物整理したり、記念撮影したり、佇んでた。
ずっと外にいるのも疲れるので結局イオンへ。
クリスピークリームドーナツが空いてたのでドーナツ一個と紅茶を購入。充電無くなるのが嫌なので特にすることもなく、爆睡。
その後知り合いhyphenさんから連絡がきて、会ってワイワイしました!こういうの初めてだったし、hyphenさん本当いい人しかいないし、話しやすいし、楽しかったー!!ありがとうございましたm(__)m


15:00頃 入場
席よく分からず行ったらまさかの天井。天井三列目だったからまだいいか…天井慣れた…(笑)
ソワソワとペンライトや双眼鏡をスタンバイ。


16:00 開演
時間通り開演。コンレポ参照。


19:00頃 終演
1人なのでまったりと退場。電車は混んでるの嫌なので大阪で北山担の友人に教えてもらった方法を多用。(笑)


20:15頃 VIPラウンジへ
これは大勝訴!!!
22時頃が混雑のピークと聞いていたので、ドームからVIPラウンジに直行したところ、スッカスカ!!パウダールーム独り占めで洗顔♡充電して、靴脱いで足伸ばして、サービスの紅茶飲んで、ふう♡優越感…。
ラウンジのテレビで日テレのやつ流れてるし、この世はジャニーズで出来ているぜ…(私の中だけ)


21:30頃 夜ご飯

お土産を買ったあと、名古屋駅味噌煮込みうどんを食す♡
ここにきてやっと名古屋らしいことを(笑)本当はひつまぶし食べたかったよ…ひつまちゃん*3だもの…高いからひつまぶし…
手羽先1人で食べるの恥ずかしいし(笑)


22:50 夜行バス出発
また小雨降ってたな(笑)
今度は通路側!隣にギャルきた!って思ったらhyphenさんだった。しかも一生懸命コンレポ書いてた。はてブに。

翌日、そっと読者登録しておきました。


4:55 新宿到着
ちょうどこの日からバスタ新宿が開業だからそこから降りれたりすんのかな!って思ってたけど普通に駅前で降ろされたよ。始発で帰宅。





というわけで、コンサートも楽しく、人にも恵まれ、円滑な遠征が出来たと思います!


〜良かった点〜

  • VIPラウンジの利用

全体的に良かったから特筆する点はないけど、やっぱ今回はこれが大きかった。洗面用具とか全部用意されてるから、荷物が大幅に削減できた!

〜反省点〜

  • 朝のVIPラウンジの混雑

これはどうにもならないのかな〜〜。
覚悟していけば我慢できないこともないし、また継続して利用してみたいと思います。

  • 物販から開場時間まで暇すぎた
  • 名古屋らしいことしたかった

そこの空き時間で名古屋城の桜でも見に行けば良かったかな。お金がなかったからしょうがないけど(笑)次回はひつまぶし食べます!!



全体的には、かなり満足な遠征でした。1人もそこまで辛くはないし。
キスマイのツアーも名古屋行きたいけど…悩むなあ!福岡もアリ!

ということで、また次回〜〜!!

*1:席関係なく私はツアーごとに絶対団扇を作る。作ることに意義があるのでライブ中に持つことは少ない。

*2:夜行バスでフックにかけておく用。持ち手が短いと足に引っかからなくて良い

*3:千賀担の名称

私にKAT-TUNを追っかけさせてくれ

※この記事は2016年2月13日に書いたものです。

hyphenになってから3,4ヶ月。

え、私KAT-TUNに嫌われてる!?!?!?


ってくらいKAT-TUNの長い15年の歴史の中でも超激動の時代にhyphenになってしまったんだなと。

なんかもう私が疫病神みたいでゴメン。

とりあえず今週を振り返ってみよう。


2月9日(火) TRAGEDYフラゲ
金欠すぎたので初回2のみの購入。渋谷タワレコで視聴して、”熱くなれ”音源化に超感動してその場で涙ぐんでた。(新規だよ)イントロが好きすぎる!!
帰宅してすぐにDVD再生。上田くんがメイキングカメラ回して市ヶ谷が卓球してるのが幸せな家庭過ぎた…!田口くんがコロチキにハマりすぎてて笑ったwww
幸せでした。

2月10日(水) 田口脱退時期&三大ドームツアー発表&ベストアルバム発売決定
この日ディズニーだったんだけど、朝から衝撃でかすぎてめっちゃ目覚めた。前日TRAGEDYで幸せになってからのマジのTRAGEDY(悲劇)襲来したよね。でもツアーはまじで嬉しかった。そして勢い余って行きの電車の中で名古屋への夜行バスを予約。勢いで予約しちゃったけどその内冷静になるよね☆と思ってたけど時間が経てば経つほど名古屋待ち遠しくなっちゃった。
つらいけど、未来が見えたので生きる希望が湧きました。

2月12日(金) Mステ&タメ旅
うえたぐうえたぐ〜!!ゆっちの絵〜!!!微笑むうーちゃんー!!!ハット亀ちゃんーー!!!!TRAGEDYとにかくかっこいいー!!!!!みたいなMステでした。幸せしかねえ。
タメ旅もいつも通り面白くて、マコリーンも見れたし、春の訪れを恐れつつも夜中にテレビの前でギャイギャイ。

2月13日(土) ”充電期間”発表
なんだよ。なんなんだよ。意味わかんねえし。iPhoneかよ。
hyphenさんはみんな「動画見て安心した」って言ってるけど私全然安心できなくて。むしろ明るく安心させて油断させておいて自然消滅するつもりなんじゃないの?って怖くなった。
ぶっちゃけ言うと、動画見た後の一番の感想は「そんなに待てない。hyphen辞めようかな」だった。でも5秒くらいね。(笑)
名古屋行くんだ、何があってもKAT-TUNについていきたい、ってすぐに思い直したけど、やっぱりショックで。うまく歩けないし震えるし。
せっかくファンになったのになんで?これからたくさん色んなKAT-TUNを見られるって信じてたのに。現場もやっと決まったのに。


元はといえばKAT-TUNに興味を持ったきっかけは田口くんだったんだよね。*1NEWSがゲストの回の少プレで、田口くんのキャラを知って。KAT-TUN意外と可愛いんじゃんってなって。そこからセカンドラブ観たりタメ旅観たり。ライブ映像観てhyphenになって。私を沼に落としたくせにずるいよ。

昨日までは笑ってタメ旅の田口いじりも見られたけど、もう無理かもしれない。今は田口くんのこと、許せない。せっかく四人でいいバランスでやってたKAT-TUN勝手に抜けて、こんなめちゃくちゃにして。

充電期間に入ることに対しても、きっとこれからも一切コメントしないんだろうな。コメント動画にだって、何もしゃべらなくていいからいて欲しかった。いや、頭の一つくらい下げて欲しかった。全部お前*2のせいだよ。最初に3人で「KAT-TUNです!」って名乗られたことが何よりも心にズッシリきたんだから。

でもやっぱりどう頑張っても歌って踊ってる田口くんを見ると最高にキラキラしてて、アイドルで王子で、思わず口から「かっこいい」って言葉がこぼれ落ちてしまうんだ。

ねえ、お願い、やっぱりやめるのやめよう?




こんなこと言ってもどうにもならないのはもちろんわかってるけど。

折角ファンになったのに、しかも「今年はキスマイよりKAT-TUNにお金を注ぐ!」って宣言してたのに、こんな展開ほんとふざけんなだよ。応援すらできないのかよ!!!!!

とにかく今は、10Ksに向けて私も全力でコンディション整えていこうと思うし、ベストアルバムの投票もしなきゃ!

ハガキも書こう!活動再開は勿論、ソロコン、舞台、折角入ったFC代無駄にさせないでよね!!(笑)

充電期間で更にKAT-TUNの過去を学んで、音源も全部網羅して、それぞれのソロ活動を全力で応援していきたいって思ってます。




NEWSだって、活動休止を乗り越えて今すごくキラキラしてるじゃない!って思うと強くなれる。NEWSファンでもあるからね。へへっ(ただのDD)



ちなみに、10Ksオーラスは初めて男の子と参戦することになった…!緊張!!でも楽しみ!!*3

*1:元々はランナウェイから上田くん推し

*2:あえてのお前呼びね。タメ旅見てる人ならわかる(笑)

*3:高校の一個下の後輩だけどhyphenとしては大先輩のめっちゃいい子

2015年下半期のジャニヲタ活動を振り返る。

※この記事は2015年12月26日に書いたものです。




2015年も間もなく終わり。長かったような短かったような。うーん、長かったな。キスマイリリイベ、カウコン、Mステと年末の現場すべて全滅したので今年のジャニヲタ活動はこれにて終了。1年の総まとめをしたいと思います。
私生活的には、彼氏が出来たわけでもなく淡々と大学生活とバイトをこなしてきました。
ではジャニヲタ的には、、、?




7月
・ドリボ、キスワ当落発表。申し込んだ全5公演*1全て当選。倍率どしたん?
・夏の現場に向けバイトに明け暮れる。

8月
・3度目のUTAGE!番協。2度目の最前列。中居さんの誕生日をお祝いさせていただく。
・Kis-My-WORLD 初日参戦のため北山担と大阪遠征。

9月
・5日、玉森担とドリボ。まさかのキスマイ他メン観劇の日…!
・8日、玉森担、宮田担とドリボ。Get It!*2担になる。
・バイト先のパートさんにKAT-TUNの漫画魂、女王魂のDVDを貸してもらう。甘栗上田くんを愛でる。quarter購入を決心。本格的にKAT-TUNの曲を聴き始める。
・18日、二階堂担以外の6人でキスワ東京ドーム参戦。
・19日、横尾担である母とキスワ東京ドーム参戦。
20日、北山担とキスワ東京ドーム幻のオーラス参戦。舞祭組アクシデントに号泣。舞祭組アルバム発売日に息止まる。
・グレート・ネイチャー観劇。小山慶一郎かっこよすぎる。
・やっとこさJohnnys Webに登録。
・Kis-My-WORLD名古屋公演決定。は?
・Mステで知念ちゃんに堕ちる。JUMPでの担当は知念くんに決定。
・UTAGE!放送終了。自担の”夜空ノムコウ”ピアノ伴奏に感激。


10月
・玉森くんのマッシュボブにベタ惚れする。
・quarter発売。本格的にhyphenになることを決意。
・少プレのリピが止まらない。*3
AAO発売。
・Kis-My-WORLD名古屋公演。(行ってない)玉森くんお顔にキズ事件。

11月
・名古屋の千賀健永が可愛すぎる事件。*4
・#「シゲアキのクラウド」連載開始*5
・最後もやっぱり君 発売。
・”レインツリーの国”公開。しっかり初日に観賞。
・自担がキスブサで久々の一位!しかも作詞回!
・田口くん脱退・退所発表。
四銃士発売。田口くんショックのためしばらく見れず。(こんなの初めて)
KAT-TUN FC入会。

12月
KAT-TUN関連で混乱の日々。
・リリイベ落選。
・誤って*6”いたジャン”を見てしまう。
・「閃光スクランブル」読了。NEWSでの担当を小山慶一郎からシゲに降りることを決意。*7
・ジャニショで五千円くらい買う。*8(最高記録)





9月やば。
確かに、9月までの私は無敵でしたね。今年に入ってからリリイベ、番協、コンサート、ドリボと負けなし。現場充の生活を送っていました。最高だったなー!お金なかったなー!
今年のツアーといえばキスマイベアの売り切れ騒動がありましたね。私は大阪初日にグッズを買ったので特に難はなく買えました。そこも運が良かったというかそれは実力というか!(笑)




さて、10月から私のジャニヲタLIFEは一変しました。

hyphenデビュー

これが私の今年の一番の大事件だったのかなあと。
今年の年始にパーナとの掛け持ちを始めたものの、NEWS自体の活動が少ないこともあってか*9、「2番目」「キスマイに疲れた時の箸休め」って感じで程よく掛け持ちできていた。しかしKAT-TUNは違った。活動が少ないように見えて、実はグループとしての冠番組が2本(タメ旅と少プレ)あり、それぞれのレギュラー番組やCMでの露出があるので結構忙しかった。
NEWSもKAT-TUNも波乱の過去を持つグループだけど、何故かKAT-TUNに対しての方がより「昔のことを知りたい」という欲も出てきた。*10
そんな中での田口くんの脱退発表。
まだ好きになったばっかりだったのに。四人と歩むhyphenとしてのジャニヲタライフに心躍らせていたのに。

やばい、暗くなってきた(笑)

しかし、これがきっかけとなって更にKAT-TUN沼にハマっていく私。
今のKAT-TUNも未来のKAT-TUNも大切にしていきたいからこそ、情報に敏感になったし、メディアでの挙動ひとつひとつに注目するようになりました。
今では自分のことを
「自担は千賀健永だけど、担当グループはKAT-TUN
と公言しています。(どこで?)



つまり、

NEWSに始まりキスマイを追いかけKAT-TUNに終わる年

だったってことです!

だめだKAT-TUNの話になると!!!
あああああ!!!!!!(頭抱)








さて、来年の抱負。




新たな沼にハマらないようにする





これに尽きる。*11





今年中にもう一記事更新したいと思います!では!

*1:ドリボ3公演とキスワ初日とオーラス(東京の)。さすがにドリボ3公演は破産するから玉森担に1枚譲った

*2:2幕にてユウタ、マダム、リカさん3人で歌う曲

*3:10月の少プレは未だによく見る

*4:朝の情報番組に生出演した際のビジュ、リアクション等すべてパーフェクト。

*5:なぜ#を付けたのかは読者ならわかるはず

*6:沼への入り口だから目を背けていた

*7:5月くらいから”コヤシゲ担”ということになっていた

*8:内訳:キスワオフショ、ドリボオフショ、四銃士オフショ、タメ旅オフショ、買い残しの無いように手当たり次第田口くん、可愛い知念くん

*9:今年は多かった方だけどキスマイとは比にならない

*10:これがhyphenさんに”懐古厨”が多い理由でもあるのかな?と思う。

*11:実際今sexy沼にハマらないようにセクゾン関連をシャットアウトしている

KAT-TUNのFCに入会しました

※この記事は2015年11月27日に書いたものです。

 

*1

でもまだベスアーの発表部分とDoAは観れていない。キスキスは見た。ゆっちの表情とダンスに絶句した。3+1にしか見えないくらい温度差が凄かった。

 

 


私はこのことを出先で知った。姉からLINEが来ていて、びっくりしてすぐにTwitterを開いたが、何も信じられなかった。「え?なんで?なんで田口くんなの?なんでなの?嘘だよね?」という気持ちがずっと脳内をループしていた。


その晩は家に帰ることができなかった。家に帰ったら録画観なきゃいけなくなるでしょ?家族と話さなきゃいけなくなるでしょ?帰ったって寝られないでしょ?
KAT-TUNのメンバーに少し、ほんのすこーーしゆかりがある友人を呼び出し一晩中呑んだ。*2ひたすらに「田口くん…なんで…?」という言葉が口からこぼれた。

 

ひたすら考えた。

 

でもまだ実感がない。

 

映像観てないし。

 

結婚が理由ならまだ納得できる。でも違うんだよね?一身上の理由?方向性の違い?


あんなにメンバーのこと大好きって言ってた田口くんが。そんなメンバーたちに説得されても違う道を歩むことを選択したなんて信じられない。


でも私には田口くんを憎む気持ちは全くない。むしろ田口くんを叩いてる人のツイートを見て「こんな人もいて、こういう感情の矛先の向け方もあるんだ」って驚いた。それくらいに私の中で田口くんは太陽みたいな存在だった。
他のメンバーを「かわいそう」と思う気持ちも起こらなかった。
ただただ、何が起きてるのかわからない。


私はまだ本当に本当の新規で、メンバーの行動パターンとか思考パターンとかまったくわからないから、憶測とかも全然できなくて、ひたすらhyphenさんたちのツイートを見てた。赤西くんのときの「諦め」、聖くんのときの「怒り」とはまた違う状況なんだなって。そしてその状況を私が味わうことになるなんて。


メンバーに対しては何もわからないし、何も言うことができないし言わないほうが吉だと思うので、一方的に私の話だけをさせてもらうことにする。

 

 

私は今までのKis-My-Ft2とNEWSというジャニヲタ二大柱にKAT-TUNを追加したばかりだった。

過去記事でもたくさん触れてきたし、hyphenさんたちは私の知らない9年間を、話したくないであろうことまでさらけ出して教えてくれた。メンバーもファンも、イメージしてたよりもずっと温かくて、そんなKAT-TUNというグループに強く惹かれていたし、春コンまでに早く覚えたくてずっとKAT-TUNの音楽を聴いていたし、脳内はKAT-TUNで埋まっていた。


一応KAT-TUNでの担当は上田くんだけど、亀梨くんも中丸くんも田口くんも大好きだし、むしろ田口くんには一目置いていた方だった。
本当の自担の千賀くんはダンスがキレキレだけど、そうじゃない上田くんに少しの物足りなさを感じてたから(もちろんそんな上田くんが好き)、いつも全力で歌って踊って最高のパフォーマンスをしてくれる田口くんには注目せざるを得なかったし、KAT-TUNを好きになる前から彼のビジュアルはハンパない破壊力を持っていることを知っていたし、好きになってから彼がギャグとか言う(実は今年まで入口出口田口ですを知らなかった)いじられキャラだと知って、田口くんは想像を絶するほどのキラキラアイドルだった。

 

 


今の私のジャニヲタとしての目標は、KAT-TUNのコンサートに行くこと。


そしてそこで「田口くん本当に美しい!かっこいい!可愛い!担降りしちゃうかも!!!」って言うことに憧れていたんだ。変な話だけど。

東京ドームで田口くんに心を鷲掴みにされたかった。

「じゅんの」って叫んでみたかった。

 

でもそんな憧れは叶わなくなってしまったんだ。


田口くんだから、あの田口くんだから、当たり前に一生KAT-TUNでいてくれると思ってた。でも違ったんだね。田口くんは別の道を選択した。

 

そしてそれを止めることはできない。発表しちゃった限り、もう戻ることはできないんだなって、なぜかそれだけはすぐに分かった。


KAT-TUNは3人になってしまうのか、って思ってたけど、それも危ういとわかった。

 

 

 

「解散」

 

 


その2文字がよぎったとき、それが一番の絶望だと思った。


それだけは絶対ダメ。KAT-TUNを終わらせないで。私から、hyphenさんたちから、そして彼ら自身からKAT-TUNを奪わないで欲しい。


そしてそれを阻止する権利は私たちにもある。

 

私は私にできることをすることにした。


[

 

ずっと迷っていたファンクラブの加入。こんな形でしたくなかったけど、KAT-TUNと事務所に向けて私ができる精一杯の意思表示。


初めてジャニーズに向けてファンレターも書いた。ファンレターにもマナーとかあるのかもしれないけど、とにかくKAT-TUNだけは無くさないで欲しいという気持ちだけぶつけてみた。

 

 


私はこれからKAT-TUNと歩んでいきたい。

KAT-TUNの未来を見せて欲しい。

 

hyphenの一員として、過去も未来も全部受け入れて歩んでいきたい。

 

どんなに時間がかかってもいいから、私をKAT-TUNのコンサートに連れてってください。私に笑顔をください。

 

 

 

 

 


とりあえず書き殴りました。

今日は読み返さず更新します。明日また読み返して編集するとおもいます

 

 

タメ旅も少プレも、どんな顔で見ればいいのかわからないけれど、少しずつ前を向いていきたいです。

 

 

 

 

*1:亀のファミクラ訪問や田口くんのジャニウェブ更新以前の気持ちをテキトーに書き連ねました。

*2:なんか知ってんじゃないか?っていう下心が少しあった。もちろん何も知るはずがない